ありがとう けなげな花たちよ/ 阪神大震災の時




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冷たい北風の吹く中、ポツンポツンと花が咲いている。

寒くないの?

つらくないの?

寒さに震えている自分と比べてしまう。



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花壇に色を見ると暖かい思いがわいてくる。

咲いてくれてありがとう




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自分自身が忘れないためにと書いてみました。

どうぞ読み飛ばしてくださいませ。




16年前の今日、阪神大震災が起きました。

私たち夫婦の母親たちがその真っ只中にいたのです。

どちらも独り暮らし。

今思うとどんなに怖く、心細かったことでしょう。

幸いにも二人とも怪我もなく無事でした。

阪神間に住んでいた兄弟たちも被災しました。




その朝、私たちはTVで恐ろしい光景を見て、足が震えました。

あわてて電話しました。

幸いにも、何軒かに連絡がつき皆無事でいるのを確認し

ほっと胸をなでおろしました。


東京からはつながるのに、向こうではつながらないという

不思議な事が起こっていました。

うちには電話が2回線あり、二人でかけまくっていたので

二つの電話をくっつけて大阪の二軒が話をするという

交換機の役割を果たしたのでした。



ドキドキ そわそわと不安な1日を過ごしました。


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義母の場合

高速道路が横倒しになったところの海側に家がありました。

ばらばらと壁が崩れ落ちる中、ベッドで布団を頭からかぶって

鎮まるのを待ち、すきを見て家を飛び出し、

近くに住む姉妹の家に避難しました。

82歳の時でした。気丈な義母でした。

クニさんは3日後に出向き、傾いた家から取り出せるものを懸命に運び出しました。

そして1週間後 戦後すぐから住んでいた家は崩れてしまいました。

どんな思いでそれを見ていたのか、その後一言も話してくれません。

1年後、義兄がその場所に家を建て、同居し穏やかな年月を過ごしました。

義母が亡くなって8年になります。


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実母の場合

関東大震災を横浜で経験した母にとっては2度目の震災経験です。

活断層から少し離れていたせいか、屋根瓦が落ちた程度で

大きな被害はなかったのですが、一気に気弱になってしまいました。

そこでマンションが倒壊した義兄一家に別棟に来てもらい、

母のそばに住んでもらいました。

その1年後、母を東京に呼び寄せ、今はサポートハウスで介護を受けながら

静かに暮らしています。

地震のことはほとんど話をすることがありません。

記憶がおぼろになっているのか、思い出したくないのか。


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いつどこで起きてもおかしくない地震。

本当の怖さを知らない私。

もし今ここで大地震が起きたら?

どうすればいいのでしょう。






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この記事へのコメント

2011年01月18日 10:33
もう16年経つんですね。
横倒しになった高架の高速道路、あの下を数年前レンタカーで通ったことがありますから、それも衝撃のひとつでした。
パールバーバー
2011年01月18日 21:17
地震の起きたあの日妹の家に避難していた母を迎えに行った道の長かったこと!午後すぐに家を出て帰りついたのは深夜でした。電気の消えた街には車があふれ幹線道路は高架橋が崩れて通行止め、トイレを借りに寄った病院には人があふれていたのを思い出します。
2011年01月19日 10:06
おはようございます♪
朝のニュースを少し見て(この時は地震がありましたぐらいでした)外出した日でした。
夕方のニュースで惨事を知ったのです。
もうびっくり!!くぎづけになりました。
お母様や親類の方たちがお住まいならどんなに心配だったか
居ても立ってもいられなかったことでしょうね。
後に大阪に行かれたお友達から聞きました。
大阪は別世界に来たようだったことや
東京に戻ってきたら何事もないことに違和感があったと聞きました。
町は復興しても心の傷は少しづつですね。
hiro
2011年01月19日 23:31
★長さんさんへ
こちらに住んでいると実感はあまりないのですが、実家の様子を見に行った時の電車の窓から見える光景には息をのみました。今はあの時の痕跡はほとんどなく新しい家が並んでいます。見た目は新しくなっていても人の心には大きな傷が残っているのでしょうね。
hiro
2011年01月19日 23:35
★パールバーバーさんへ
あの日は本当に大変でしたね。誰もけがをした人がいなかったのが幸いでしたね。地震がなければ実家がこんなにも早くなくならなかったのではとさびしいです。
hiro
2011年01月19日 23:43
★かなたさんへ
あの日は朝から何も手につきませんでした。1日中電話を掛けまくっていたのだけ覚えています。実家へ様子を見に行った時も公衆電話はどこも長蛇の列。家の電話が使えなかったのです。数日して東京へ戻ってくると人々は何事もなかったようにふだん通りの生活をしているのにどきりとしました。今日もTVであの時のけがの後遺症で苦しんでいる方のことが放送されていました。体や心に残った傷がいえるのはいつのことなのでしょうね。
2011年01月21日 18:32
朝のニュースで画像を見て、現実に起きたものとは思いませんでした。
映画と思ったのです。
大変な思いをなされましたね。

私は戦災の火の中を逃げに逃げやっと助かった家族です。
この時は祖母が用意したわら草履で助かりました。
穿いてなかったら、痛くて暑くて逃げられなかったでしょう。
十勝沖の地震の時(札幌にいました)からは、オンブ紐を必ず玄関に下げるようになりました。
子供が小さかったので・・・一人はオンブで一人は手を引いてと思いました。
災害はいつ起きるかわかりませんね。

丁度その後神戸に行く用事がありました。
今はどうなったでしょう?
2011年01月21日 23:12
あの地震には朝からTVに釘付けでしたね。ちょうど運がよく前日に転勤で東京に戻った友達がいました。運がいいとしか言えない・・と言っていました。 被災地へはアタシの運送屋のボスも物資を運んでしばらく戻ってきませんでしたよ。とても正視できない状態だった・・と今でも時々そんな話をしてくれます。 地震大国、日本、明日はわが身・・と備えていなくちゃと分かっていながらも真剣さが足りていないですね。 ご両親のお気持ちを考えたら胸が痛みますね。